小田原ニュース151124

安心して見学できるよ! 城跡に女子校が建ってしまい、違う意味で難攻不落になったお城「玉縄城」の見学会が開催

安心して見学できるよ! 城跡に女子校が建ってしまい、違う意味で難攻不落になったお城「玉縄城」の見学会が開催

(前略)

玉縄城は、北条早雲が築城した鎌倉で唯一の城です。一度も陥落したことのない堅牢な平城として、戦国時代から鎌倉の地に存在していました。

現在は本丸跡が清泉女学院中学高等学校の敷地内にあるため、個人で見学しようとすると事前に学校の許可が必要になります。学生さんがいる中、一人で敷地内を回るのはちょっと周りの目が気になる……というお城ファンは少なくなく、「違う意味で難攻不落」と呼ばれていました。

今回の見学会は、玉縄城をPRする市民団体「玉縄城址まちづくり会議」によって行われるもの。今まで敷地の関係で敬遠していたお城ファンの皆さんには、ステキなチャンスになりそうですね。

(後略)

玉縄城は、いわゆる「北条五代」の祖である北条早雲によって永正10年(1513年)に築かれました。

一門の重要人物が城主として置かれ、初代城主は早雲の実子である氏時、2代城主は氏綱の実子である為昌、為昌の急逝後は氏綱の娘婿で長く城代として為昌を補佐してきた綱成が「為昌の養子」という名目で3代城主となりました。以後、綱成の子である氏繁、氏繁の嫡男である氏舜、その弟である氏勝と、4代にわたって城主の地位が継承されました。

徳川氏時代(徳川政権下)においても重要視され、家康の側近であった本多正信の居城となり、その後は一門の長沢松平氏の居城となりました。

現在では、当該校と隣接する住宅地に「早雲台」、周辺地域に「城山」「城廻」「関谷」「植木」といった地名が、その名残をとどめています。

小田原・南足柄・中井・大井・松田・山北・開成・箱根・真鶴・湯河原、小田原市を中心とする神奈川県西部地域の潜在能力(歴史・文化といった地域性)は計り知れません。
その豊かな地域性がより生かされる場として、コワーキング小田原プロジェクトを進めてまいりたいと思います。

関連記事

return top